核砲弾とは?核砲弾はなぜ使われなくなったのか?
第二次世界大戦終結後も、アメリカとソ連という2つの大国を筆頭に、核兵器開発は積極的に行われてきました。核による時代。いわゆる「冷戦」と呼ばれる時代です。
両国は核をもってお互いを牽制し、核兵器を使用した全面戦争になることが確実視されるようになりました。アメリカは、より実践的な核兵器として様々な規模での使用を想定した核兵器の開発を急ぎました。これに対抗し、ソ連でも同様に核兵器開発が盛んに行われるようになっていきました。こうして多種多様に核兵器が開発されることになったのです。
一般的に想像されるのは、核ミサイルや核弾頭でしょう。それ以外にも、魚雷・地雷・爆弾・砲弾などの種類があります。その中でも、現在はすでに撤廃されてしまった旧時代の技術「核砲弾」とは一体どういう兵器だったでしょうか。
核砲弾とは?
「核砲弾」とは、弾頭に核兵器を取り付けた核兵器のことです。
核砲弾を初めて実践投入したのはアメリカで、1952年から配備が進められたW9核砲弾と呼ばれるものです。直径30センチ、長さ137センチで、広島原爆リトルボーイに近い威力を備えていると考えられています。このW9核砲弾はアトミックキャノンと呼ばれるカノン砲で発射されますが、これが非常に巨大で、取り回しに難があるため実戦での運用は困難でした。
さらに実用性を高め、ソ連側に対抗する手段として核兵器の小型化が推し進められていきました。核兵器の小型化は難しい技術ではあったものの、アメリカ軍は次々と改良を進め、1957年にはW33核砲弾、1963年にはW48核砲弾の実用化が開始されました。
戦術核兵器と戦略核兵器
核兵器にはその使用目的によって2種類に大別されます。これを戦術核と戦略核と呼びます。
核兵器を開発するときに重要なことは、どれほどの威力で、どういう場所で使用することを想定するか。ということにあります。これによって、戦術核と戦略核という2種類に分けられます。
戦術核
局所的に、通常の戦闘兵器の延長線上としての使用を想定した核兵器。
戦略核
戦術核よりも大きな威力で、敵国の基地や都市など大規模な目標に対しての使用を想定した核兵器。
一般的にイメージされる核兵器は、この戦略核と呼ばれるもので、例えば北朝鮮の核ミサイルや、広島原爆などがこれに該当します。所持しているだけで敵国に牽制をかけることができるという意味では、非常に戦略的な使い方ができる核兵器ということになります。
対して戦術核は、通常戦闘の範疇で使用されることを想定しており、射程距離も短くなっています。核砲弾は、この戦術核に分類される兵器です。戦術核と戦略核はお互いを相互補完するものであり、その運用には大きな期待が寄せられていました。
しかしその後、冷戦の終結や近年の核拡散により、これらの定義は非常に曖昧になっているのが現状です。
核砲弾はなぜ使われなくなったのか?
局所的な戦闘で使用されることを想定した戦術核である核砲弾ですが、実際に使用されることはありませんでした。冷戦の終結に伴い、アメリカが戦術核の実戦配備を中止したためです。また、実射実験が行われたのも一度のみでした。核砲弾の改良が進み小型化していく中、同様に通常兵器の改良も進み、次第に核砲弾の価値は薄れていったのです。
核兵器開発には大きなコストがかかることや、小型とはいえ核兵器ですから、保管・管理上の問題とリスクが付きまとってくるものであります。総合的に判断し、アメリカはすでに配備されていた核砲弾を含め、すべてを撤廃。自国で破壊するという決断に至りました。
兵器開発の現状
世界には、核兵器に限らず大きくの大量破壊兵器が存在しており、日々開発が進められています。近年注目を集めている兵器の一つに、透明戦闘機というものがあります。もちろん完全に透明になることは未だ不可能ですので、敵軍のレーダーに映らないような技術という意味ですが、すでに実践段階にあります。この技術が兵器に転用される日もそう遠くはないのでしょうか。また、現在の核兵器は冷戦時代よりも当然進化しており、もっとも小さなものでキャリーバッグ程度のサイズまで小型化しています。人一人が簡単に持ち運べるサイズであり、もしテロ活動に使われてしまった時の被害の大きさは計り知れません。
私たちの生活を豊かにしてくれる多くの技術は、軍事利用されている技術の応用であることも多く、革新的な技術はそれだけ危険をはらんでいることになります。技術開発競争によって生活が豊かになるのは喜ばしいことですが、その反面どこかで不幸になっている人がいるのかもしれません。
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核砲弾は、大きな期待が寄せられ開発が進められたものの、時代の政治的・軍事的背景から一度も使用されることなく、その姿を消しました。核兵器自体が根絶した訳ではありませんが、現在のテロ活動の増加を考えれば、核砲弾の盗難や、横流しは十分考えられる事態でした。結果論ではありますが、アメリカが核砲弾を撤廃したその判断は、正しいものだったと考えられます。